ラムセス10世のオベリスク (ボローニャ市立考古学博物館) オベリスク全リストへ戻る

大きな地図で見る
現在地:  イタリア、ボローニャ、市立考古学博物館
北緯
44°29'33.2"(44.492568) 東経11°20'37.0"(11.343610)
創建王:  ラムセス10世(新王国第20王朝,在位,紀元前12~11世紀)
高さ:  約60センチ
石材:  花崗岩

行き方: ボローニャはイタリア北部の都市で交通の要衝です。欧州各地との路線を持つ空港があるほか、イタリアの鉄道幹線が交差する地点ですので交通の便は良いです。ローマから鉄道だと特急で2時間余りで、30分間隔で列車があります。ボローニャの中央駅は旧市街の北の外れにあり、駅から市立考古学博物館までは1km以上離れていますので、タクシーを利用するのが良いでしょう。
 博物館は旧市街の中心地であるマッジョーレ広場からボローニャ大学に向かうアルキジンナジオ通り(Via dell'Archiginnasio)を100mほど南に下った所にあるのですが、アルキジンナジオ通りは7mくらいの道幅のため大通りといった感じではありません。マッジョーレ広場で南側を見たときに左側に見えるアーケードのある道がアルキジンナジオ通りです。道幅が狭いため博物館の入口もアーケードにさがっている垂れ幕が無ければ見落としてしまいかねないほど目立ちません。

場所について: ボローニャ市立考古学博物館はボローニャ大学と同じ建物にあります。ボローニャ大学は1088年の創立で西欧では最も古い大学です。ボローニャ大学は今でもイタリア第2の規模を誇る総合大学ですが、現在はボローニャ市内の大学の拠点は旧市街の北東部に移っているほか、リミニやラヴェンナなどに施設が分散しているので、市立考古学博物館に連なる建物だけを見て大学の規模を連想することはできません。

アルキジンナジオ通り
 アルキジンナジオ通りの入口

 ボローニャは学問の都にふさわしく、市内には国立絵画館の他にボローニャ市立の中世美術館、考古学博物館、産業遺産博物館などがあります。またボローニャの近郊にはランボルギーニやフェラーリの博物館もあります。なお、ボローニャの市立博物館はいずれも入場料は無料です。
 市立考古学博物館は1881年に設立されました。ボローニャ大学が集めていた収蔵品に、1860年に没した画家・古美術収集家であった Pelagio Palagi のコレクションや、後代に発掘されたものが加えられています。規模自体はさほど大きくはなく、ゆっくり見ても2時間はかかりませんが、エトルリアの壷などの展示はかなり充実しています。エジプト関係の収蔵品は地下の展示室にありますが、あまり大型の物はありません。オベリスクは地下の展示室のほぼ中央のガラスケースの中に陳列されています。

オベリスクについて: このオベリスクについての情報はインターネット上にもほとんどなく、わずかに英文版の Wikipedia のラムセス5世の説明文(http://en.wikipedia.org/wiki/Ramesses_V)の写真に出てくるだけです。Bologna と Obelisk で検索してもエジプトのオベリスクとして結果が得られるのはこれだけです。インターネット上に1枚の写真しかなく、ボローニャ市立考古学博物館のウェブサイトには収蔵品の詳しい説明が無いので、筆者はその存在の確認もできないままに、ともかくボローニャを訪れてみたのです。
 市立考古学博物館の地下のエジプト展示室には、確かにこのオベリスクは陳列されていましたが、Wikipedia の写真を見て抱いていたイメージよりはずっと小さく、目測では高さは60cm弱しかありません。しかも博物館の説明文の王名はラムセス5世ではなく、ラムセス10世となっていました。説明文の王名の後に書かれている在位の期間を見てもラムセス10世であることは間違いなく、VをXに書き誤ったわけではなさそうです。なお、オベリスクの正面には即位名のカルトゥーシュが明瞭に彫られているので、本来であれば王の名前を特定するのは容易なのですが、このオベリスクの即位名は通常のものより文字数が多く、様々な資料のラムセス5世とラムセス10世の即位名と比べてみてもピッタリと当てはまるものが見当たりません。
 筆者が調べた限りでは、ラムセス10世のオベリスクの存在はどこにも掲載されていません。エジプト学が盛んであった19世紀から20世紀始めにかけての大英博物館などの出版物にもこのオベリスクは紹介されていませんが、博物館の説明文には来歴が Pelagio Palagi のコレクションであったことが示されていますので、イタリアに持ち込まれたのは19世紀以前です。
 ガラスケースの中に展示されているため、正面と背面以外は斜めからしか観察できませんが、王名は正面にしか彫られていません。また、この面のみは碑文が赤色に彩色されているのも特徴です。即位名のすぐ下で折れてしまっているので、おそらく現状は元の全体の1/3程度しか残っていないものと思われます。
 なお、博物館の説明文はイタリア語だけですが、Google 翻訳で英訳した文章を付記して置きます。ただ、来歴は不明で、「おそらくラムセス10世の高官の墓の前に建っていたもの」という曖昧な説明しかありません。

博物館の説明文(イタリア語)
Piccolo Obelisco
Provenienza ignota. XX dinastia, regno di Ramesse X (1107-1098 a.C.)
Calcare
Il piccolo obelisco, mancante della base e di parte della cuspide, si trovava probabilmente davanti alla tomba di un alto funzionario del faraone Ramesse X, il cui cartiglio campeggia su una faccia del monumento. Sulle quattro facce della cuspide vi sono raffigurazioni di carattere funerario e solare.
Collezione Palagi (Nizzoli)  KS1884
Google 翻訳による英訳
Small Obelisk
Unknown origin. XX Dynasty, reign of Ramesses X (1107-1098 BC)
Limestone
The small obelisk, missing the base of the spire, was probably in front of the tomb of a high official of Pharaoh Ramesses X, whose scroll stands on one side of the monument. On the four sides of the spire there are depictions of a funeral and solar.
Collection Palagi (Nizzoli)  KS1884

撮影メモ: ボローニャのマッジョーレ広場は観光地なので観光客で賑わっていますが、市立考古学博物館を訪れる人はごく少数です。入場料無料の割には展示物は充実しているので立ち寄る価値は十分にあるのですが、説明文がイタリア語だけなのが残念です。
 参観者が少ないため写真撮影は落ちついてできましたが、地下の展示室は天井が低く、小さなスポットライトがたくさん並んでいる照明のため、反射光が写り込まないようにするのには苦労しました。たった1枚の写真を元にボローニャを訪れたのですが、空振りに終わらなかったので達成感はありました。

bologna_front.jpg
正面

bologna_left.jpg
左側面

bologna_right2.jpg
右側面

bologna_back.jpg
背面

2015年5月3日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます)

共同著作・編集: 長瀬博之 nag2jp@ gmail.com、岡本正二 shoji_okamoto31@yahoo.co.jp

inserted by FC2 system