大英博物館のオベリスク(3本) オベリスク全リストへ戻る

大きな地図で見る          tube.gifは地下鉄駅を表す記号です

現在地:  ロンドン、グレート・ラッセル・ストリート
北緯
51°31′09.9″(51.51942) 西経0°07′37.0″(-0.126946)
創建王:  ネクタネボ2世(末期王朝時代第30王朝,在位,紀元前4世紀)
高さ:  2.74メートル
創建王:  ハトシェプスト女王(新王国第18王朝,在位,紀元前15世紀)
高さ:  1.65メートル

行き方: 大英博物館はロンドンの中心地にありますが、意外に至近距離には地下鉄の駅はありません。ラッセル・スクエア、グッジ・ストリート、トッテナム・コート・ロード、ホルボーンの4駅が近いですが、正門が博物館の南側にあるので、ホルボーンかトッテナム・コート・ロード駅が近く、300m ほど歩けば博物館の正門に着きます。
 ホルボーン駅は Picadilly Line と Central Line、トッテナム・コート・ロード駅は Northern Line と Central Line が通っています。
 ロンドンの中心部に大英博物館はあるので、ロンドンに宿泊しているなら、どこからでも大英博物館には容易に行けるでしょう。また大英博物館から徒歩圏に建っているということを売物にしているホテルも多数あります。

大英博物館の正面玄関大英博物館の正面玄関

場所について: 大英博物館は収蔵品数が約 800 万点にのぼる世界有数の規模を誇る博物館です。18世紀に開設され、現在の建物は 1847年に完成したものです。1997年に大英図書館が分離独立した後で大規模な改装が行われて、2000年に屋根つきの広い中庭であるグレート・コートが完成しています。
 筆者は 1980年代に大英博物館を訪れたことがあるのですが、その当時とは展示室のレイアウトや展示のされ方などが大きく変わっていて、勝手が分からずかなり戸惑いました。
 以前はロゼッタ・ストーンはエジプト展示室の入口にあって、正面こそアクリル板で覆ってありましたが、側面なら触ろうと思えば指で直接触れることができるような展示方法でした。ガラスケースが当たり前の日本の博物館では考えられないような展示方法なのでたいへん驚いたことがあります。残念ながら展示方法が変わってしまった現在ではガラスケースの中に収められています。
 大英博物館の特色のひとつは、とてつもなく貴重な品々を収蔵している巨大な博物館であるにもかかわらず、入場料が無料であるということです。英国政府の国庫からの補助も受けていますが、博物館内には寄付を募る看板も目に付きました。また大英博物館のお土産物はかなり充実していますが、収益の一部は経費に充てられています。せめてお土産を購入して、少しでも博物館の運営に貢献したいところです。

オベリスクについて: 大英博物館には屋内に3本の古代エジプトのオベリスクが展示されています。他に古代アッシリアのオベリスクが2本展示されています。ただし1階のメインのエジプト展示室にはオベリスクは展示されていませんので多くの来訪者はエジプトのオベリスクには気付かないかもしれません。2本のオベリスクはグレート・コートの正面玄関に面した壁の両側に展示されていて、両方共に末期王朝時代のネクタネボ2世のオベリスクです。この他の1本はハトシェプスト女王の小型のオベリスクで、2階にあるスーダン、エジプト、ヌビアの出土品を集めた第65展示室に展示されています。

ネクタネボ2世のオベリスクの配置の想像図
ネクタネボ2世のオベリスクの配置の想像図

● ネクタネボ2世のオベリスク
 末期王朝時代第30王朝のネクタネボ2世(在位 BC 360-343年)によって造られた2本のオベリスクです。古代エジプトのオベリスクとしては珍しく黒色のシルト岩(堆積岩の一種)で作られています。このオベリスクの片方(大英博物館の目録番号 EA523 )は、エジプトにあった要塞の石材として使われていた物が 1737年に英国人の旅行家によって発見され、もう一方( EA524 )は同じ場所でデンマーク人の数学者によって 1762年に発見されました。ナポレオンのエジプト遠征の際にこれら2本のオベリスクはフランスに移送するためにアレキサンドリアに運ばれましたが、フランス軍のエジプトからの撤退によって、ロゼッタ・ストーンなどと共に英国軍によって接収されたものです。
 発見された時点では既に石材としてカイロに持ち込まれていたので、元々どこに建てられていたものかは確証がありませんが、大英博物館の説明文によれば、碑文にはヘルモポリス(カイロ南方約 250kmのナイル川沿いの古代の街)の主神のトト神に捧げられたことが記載されているので、ヘルモポリスの神殿に建てられたものであるのかもしれません。
 2本のオベリスクは先端部分が失われている断片となっています。2本ともに断片の高さは 2.74mですが、大英博物館では元の高さは 5.5mほどであったものと推定しています。なおカイロのエジプト博物館にこのオベリスクの先端部分が保管されているようです。(展示はされていません)
 オベリスクにはネクタネボ2世の即位名と誕生名のカルトゥーシュが見えます。碑文の文字は非常に端正で美しい書体で、ネクタネボ2世がエジプトの伝統の再興に努め、多数の神殿の整備・再建などを行ったという逸話も頷けるところです。EA523 と EA524 の4面の碑文を詳しく見比べてみると、EA523 と EA524 は同一の碑文が書かれていてセットであることが分かります。また北面と南側の面が同一の碑文の対になっていて、西側と東側の面が同様に対になっています。オベリスクのヒエログリフの向きはオベリスクが両脇に建てられた神殿の門の方向(中央向き)と至聖所の方向(奥向き)を向いていますので、上部が失われているため確証はありませんが、仮に王名のカルトゥーシュの面が正面であったとすると、EA523 は門の右側、EA524 は左側に建っていて、北側の面が正面であったことになります。
参考: 大英博物館のネクタネボ2世のオベリスクについての説明文


大英博物館目録番号 EA523
正面玄関からグレート・コートに入って左側(南西側)に展示されています。

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北面

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東面

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南面

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西面

2014年8月2日、西・南面は2015年5月6日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます)

大英博物館目録番号 EA524
正面玄関からグレート・コートに入って右側(北東側)に展示されています。

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北面

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東面

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南面

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西面

2014年8月2日、東面は2015年5月6日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます)

● ハトシェプスト女王のオベリスク
 2014年の夏に訪れた時には見落としてしまったオベリスクですが、2015年の5月に大英博物館を再訪して見てきました。2階の第65展示室はスーダン、エジプト、ヌビアの出土品を集めた部屋で、このオベリスクは多数の石碑などと共にならべられています。
 大英博物館のウェブサイトには説明文が掲載されています。それによれば、このオベリスクは現在ではアスワン・ハイ・ダムの完成によって、ナセル湖の島となってしまったクァーサル・イブリムの遺跡で出土したもののようですが、ほかの場所から持ち込まれた可能性もあると書かれています。このオベリスクは赤色花崗岩で作られており、高さは165cmです。
 碑文は正面の1面のみに彫られています。保存状態が悪くヒエログリフはほとんど判読できませんが、大英博物館の展示品の説明には「ホルスに愛されし者。ミアムの王。ラーの如く永遠に生きる者」と書かれており、ハトシェプストの名前は後世に抹消されているようです。なお、ミアムは現在のアニバ(Aniba)に相当し、アスワンから250kmほど上流の第一急流と第二急流の間にあり、クァーサル・イブリムの対岸にあった街です。
参考: 大英博物館のハトシェプスト女王のオベリスクについての説明文

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正面

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左面

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右面

2015年5月6日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます)

● (番外編)アッシリアのオベリスク
 大英博物館に所蔵されているオベリスクとしては、エジプトの3本のオベリスクよりも、むしろアッシリアの「黒色オベリスク」の方が有名です。日本語の wikipedia にも、この黒色オベリスクのページがあります。1846年にイラク北部のニムルドで出土したもので、アッシリアのシャルマネセル3世(在位 BC 858-824年)が紀元前 825年に建てたものです。高さは 198cmで、楔形文字による碑文のほかに、シャルマネセル王に朝貢する北イスラエル王イエフや、貢物とされた動物などのレリーフがあります。
 また、この黒色オベリスクのすぐ横には「白色オベリスク」というアッシリアのオベリスクも展示されています。こちらは 1853年に発見されたもので、高さは 284cmです。大英博物館の説明によれば、碑文は完成されていない可能性があり、判読できない部分が多いようです。碑文にはアッシュールナシルパルの名前がありますが、アッシュールナシルパル1世(在位 BC 1050-1031年)かアッシュールナシルパル2世(在位 BC 883-859年)のいずれかは特定できず、学者の間で議論があるとされています。
参考: 大英博物館の黒色オベリスクについての説明文
参考: 大英博物館の白色オベリスクについての説明文

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黒色オベリスク

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白色オベリスク

2014年8月2日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます)

共同著作・編集: 長瀬博之 nag2jp@ gmail.com、岡本正二 shoji_okamoto31@yahoo.co.jp

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