センウセレト1世のオベリスク (ヘリオポリス) オベリスク全リストへ戻る

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現在地:  エジプト、ヘリオポリス、アル・マサラ
北緯
30°07′45.8″(30.129396) 東経31°18′27.0″(31.307496)
創建王:  センウセレト1世(中王国時代第12王朝,在位,紀元前20世紀)
高さ:  20.7メートル
石材:  赤色花崗岩

行き方: 2014年8月の時点ではヘリオポリスのセンウセレト1世のオベリスクは非公開になっています。オベリスクは整備された敷地内に立っているのですが、敷地内への立ち入りが禁じられています。入場ゲートのフェンス越しに正面からの写真は撮れますので、行き方を一応説明しておきますが、オベリスクの敷地の付近は必ずしも安全とは言い難いので、個人旅行者が単独で行くことは勧めません。
 エジプト博物館の近くのサダト駅やナセル駅から地下鉄1号線でエル・マルグ方面へ向かいアイン・シャムス(Ain Shams)駅で降ります。駅の北側には立体交差になっているアイン・シャムス陸橋が見えますので、そちらに向かい陸橋の下の広い道路を左折して西に進みます。200mほど西に行くと大通りは斜め左にカーブしますので道なりに西南西方向に進みます。この大通りの名前はAl-Matarawy Streetです。まっすぐ直線に延びる道を600mほど進むと、右側にTeba Mallというアウトレットのショッピングモールが見えます。Teba Mallを過ぎてさらに200mほど歩くと右側からV字型に合流する道がありますので右折します。150mほど行くと左側にひときわ大きなビルが建っていますので、それを過ぎると左側の奥にオベリスクが見えてきます。若干回り道になるのですが日中であれば大通を歩いている分には安全です。ただ、オベリスクが立っている敷地の近くになると殺伐とした雰囲気になってきます。ヘリオポリスの周辺は、中流階級の人々が住むマンションが連なる小綺麗な街並みと、朽ち果てた車が路上に放置されているスラム街とが隣接しています。周囲の雰囲気が変化しだしたら立ち入るのはやめましょう。

場所について: ヘリオポリスはエジプト古王国時代から栄えていた都市で、太陽信仰の中心地でした。かつては多くの太陽神殿があり、ヘロドトスもヘリオポリスを訪れて古代エジプトの知識を深めました。ヘリオポリスから外国に運ばれたオベリスクも多数あります。パンテオン前のマクテオ・オベリスク(ラムセス2世)、チェリモンターナのオベリスク(ラムセス2世)、モンテチトーリオのオベリスク(プサメテク2世)、ポポロ広場のフラミニオ・オベリスク(セティ1世およびラムセス2世)、ドガリのオベリスク(ラムセス2世)、ボーボリのオベリスク(ラムセス2世)、そしてロンドンとニューヨークにあるクレオパトラの針(トトメス3世)の8本です。
 プトレマイオス朝の頃までヘリオポリスは栄えていたのですが、次第に信仰の対象は古代エジプトの神々からギリシャの神々へと移っていき、ローマ帝国の頃になるとヘリオポリスは既に荒廃していたようです。この結果、多数のオベリスクが運び出されたのでした。それにしても8本ものオベリスクが持ち出されたのですから、いかに過去のヘリオポリスが大規模な神殿複合体であったかが伺われます。
 しかしながら現在のヘリオポリスには、センウセレト1世のオベリスクが立っているだけで、他には遺跡らしいものは何一つ残っていません。カイロに近い場所であるため古くから開発が進み、大半の遺物は石材などに利用されてしまったのかもしれません。
 オベリスクが立っている場所は、約70m四方の整備された広場になっていて、手前に入場ゲートがあります。広場は以前オベリスクが公開されていた頃は、団体客でも参観できるように整備されていたもので、ヘリオポリスで出土した遺物の一部も展示されているはずです。
heliopolis3.jpg 筆者は2014年8月4日に現地を訪れました。地下鉄の駅を降りて猛暑の中をとぼとぼ歩いていると、タクシーに声を掛けられました。英語が巧い運転手だったので、そのタクシーを拾って、ほぼ地図の経路でオベリスクに向かいました。
 運転手と二人でオベリスクが立っている敷地に入りますと、管理をしている公安関係者らしき人物が二人出てきて、立ち入りを禁じられました。開いていたゲートも閉められてしまい、フェンス越しにしか写真撮影も駄目だと言います。「四方からの写真も撮りたい」と言うと、「敷地の周囲から塀越しに撮ればよい」と言われ、諦めて正面左手(南側)に回ってみました。ところが周囲の塀の裏には木が植わっていてオベリスクは見えません。さらに驚いたのは、オベリスクのある広場の周囲は広大なゴミ捨て場になっていて、取り壊された建物の瓦礫や電気製品、つぶれた車などが延々と散乱しているのです。ゴミ捨て場に入ると周囲の雰囲気も一変して、廃屋のような建物に居る人々の視線も気になります。同行していたタクシーの運転手はひどく怯えて、「こんな所に長居していてはいつ殺されても仕方が無い。早く写真を撮って帰ろう」と言い出しました。仮に裏手に回っても木の陰になってオベリスクは撮影できそうにもないので断念して引き上げました。無愛想な係官の対応に腹は立つやら、なんとも無念な思いでした。
 Google mapの現地の衛星写真を見ながら今から考えてみると、ゴミ捨て場になっていた広大な空き地は、ヘリオポリスの遺跡を発掘した跡地ではないかと思われます。遺跡のためにおそらく国有地になっていて開発は免れているのですが、管理が悪いためにゴミ捨て場と化しているのだろうと思います。非常に広大なゴミ捨て場ですから、周囲の環境が悪くなるのは当然で、その中をウロウロ歩いていたのでは、確かに危険極まりないです。

オベリスクについて: 立っている古代エジプトのオベリスクとしては最古の、中王国時代第12王朝のセンウセレト1世(在位BC1971~1926)のオベリスクで、高さは20.7mです。ファイユームにもセンウセレト1世のオベリスクが残っていますが、エジプトのその他のオベリスクは新王国時代以降のものです。
 立ち入りを禁じられたため、写真は東面と南面しか撮影できていません。しかも東面は逆光で碑文が判りにくいのですが、南面は非常に碑文が美しく残っています。東面と南面は碑文を見比べたところ同一の碑文でした。Wikipediaの英文版のオベリスクの項目にもセンウセレト1世のオベリスクの鮮明な写真が掲載されていますが、この写真は南面と西面が写っています。西面はかなり見づらいですが、これも同一の碑文であることが分かります。北面の写真は筆者は見たことがありませんが、ラビブ・ハバシュの「エジプトのオベリスク」でも碑文は4面とも同一と書かれていますので、同一と考えてよいでしょう。今回のエジプト訪問では綺麗な写真は1面しか写せませんでしたが、碑文が4面とも同一であればせめてもの幸いです。
 碑文にはセンウセレト1世のホルス名、即位名、誕生名が彫られています。おそらく後代のエジプトのオベリスクの書式法の規範になっていたのではないかと思います。ただ、新王国時代のオベリスクの最上部のホルスは上下エジプトの統一王朝を象徴する二重冠(プスケント)を通常被っていますが、このオベリスクのホルスは無冠です。
 それにしても、今から4000年近く前のオベリスクの碑文が、このように美しく残っているのは驚きです。ヒエログリフの書体も端正で美しく、非常に感銘を受けます。また、近代になって地盤の改良が行われてはいますが、この地に4000年間倒壊せずに立っているという事実も、考えてみれば大変なことです。
 なお、ここではもう一つ、ぜひ見たかった物があったのです。古王国時代のテティ王(在位BC2345~2333)のオベリスクの断片が、ヘリオポリスで1970年代に発見されていて、この敷地内に展示されている可能性があるからです。テティのオベリスクの碑文はラビブ・ハバシュの「エジプトのオベリスク」に掲載されていて、ホルス名が彫られた先端部分が残っているようです。エジプト考古最高評議会のザヒ・ハワスのウェブサイトには"Excavation in Ain Shams"というページがあって、テティのオベリスクの発見について触れているほか、センウセレト1世のオベリスクの敷地に野外博物館を作ったと書いています。インターネット上にも野外博物館にあるオベリスクとしてそれらしい1枚の写真が公開されています。確かにセンウセレト1世のオベリスクの周囲には、ヒエログリフの彫られた石材などが展示されているのが分かります。テティのオベリスクの断片が現在もここに展示されているという確証は無いのですが、オベリスクの歴史を塗り替えた唯一の古王国時代のオベリスクであるだけにぜひ見てみたいものです。

撮影メモ: エジプトの古代遺跡では規制が厳しくなっていて、ロープで立ち入りが禁止されているところが非常に目立ちました。ギザのピラミッドの周囲、ハトシェプスト女王葬祭殿を見下ろせる葬祭殿に向かって右側の丘、カルナックのセティ2世のオベリスクの南側など、2008年には自由に行けたところが立ち入り禁止になっていました。王家の谷はカメラを預けなくてはならなくなり、墓の入口の写真さえも撮影できなくなっていました。ミスルトラベルのガイドの話によると、遺跡の管理をしているのは考古局の役人ではなく公安か軍関係者のようです。しかし、ここまで酷い扱いをされた所は他にはありませんでした。いつか正式に許可を取って再訪しようと固く決意してこの地を後にしたのでした。

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東面

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南東面
2014年8月4日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます)

共同著作・編集: 長瀬博之 nag2jp@ gmail.com、岡本正二 shoji_okamoto31@yahoo.co.jp

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