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聚楽第(じゅらくてい・じゅらくだい)は安土桃山時代に当時の最高権力者
竣工8年後以降、痕跡を留めないよう完全に取り壊されてしまいましたので、地上には何一つ残っていません。従って遺構は数少なく、また記録も少ないのでどんなものだったのかは想像するしかないのが実情です。
2013.8.24 記
竣工して8年後に痕跡を留めないほど徹底的に破壊されてしまったので、聚楽第の遺構は何も残っていないと思われていたところ、2012年12月に本丸の石垣が見つかりました。少なくとも歴史の好きな人にとっては、これはオドロキの大事件でした。
しかし世間の関心は意外と低く、関係者(日本史研究会、京都歴史地理同考会)の要望にもかかわらずその石垣は埋め戻されてしまいました。
しかもその上には鉄筋コンクリートのアパートまで建てられました。
「地中に(安全に)保存されています」という説明です。
なにしろ京都は史跡だらですので聚楽第の石垣が出てきたくらいで一般市民は驚かないのです。
埋め戻された石垣はもう見ることができませんので、これで石垣のイメージをつかんでくださいという発掘者『京都府埋蔵文化財調査研究センター』のせめてもの配慮と思われます。
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