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第4話 (2) 石碑に見る 聚楽第 の形容表現

聚楽第(じゅらくてい・じゅらくだい)は安土桃山時代に当時の最高権力者豊臣秀吉(とよとみひでよし)が京都に建てた邸宅(居城)兼政庁です。
竣工8年後以降、痕跡を留めないよう完全に取り壊されてしまいましたので、地上には何一つ残っていません。従って遺構は数少なく、また記録も少ないのでどんなものだったのかは想像するしかないのが実情です。


「聚楽第」か「聚楽城」か表現の分かれるところですが、現存する6基の石碑で見てみました。(2021年(令和3年)現在)

  碑文建立地建立時期,建立者
此附近 聚楽上京区中立売通裏門角
正親(せいしん)小学校の一郭
1915年(大正4年)11月
上京第十一学区内有志者・京都市教育会
2008年(平成20年)3月 再建
聚楽
此附近 大内裏及聚楽東濠跡
上京区中立売通大宮角
ハローワーク西陣向かい
2009年(平成21年)5月19日
岡本正二
此付近 聚楽南外濠跡上京区浄福寺通出水下ル東入南側
松林寺前
2007年(平成19年)5月18日
全京都建設協同組合
聚楽 (かささぎ)橋乃旧蹟上京区松屋町通出水上ル東側
松永稲荷前
1932年(昭和7年)10月
川見信太郎・松本吉兵衛
此南 聚楽 武家地 直江兼続屋敷推定地
此北 聚楽 武家地 上杉景勝屋敷推定地
平安京左京二条二坊八町 春宮坊 東宮町跡
上京区椹木町通葭屋町東入ル南側
(さわらぎちょうどおり・よしやまち)
2009年(平成21年)5月9日
NPO法人京都歴史地理同考会
聚楽 武家地 上杉景勝屋敷跡
此付近 応仁の乱ゆかりの地 細川勝久屋敷跡
上京区黒門通一条上ル西側
村田織物株式会社前
2009年(平成21年)4月26日
NPO法人京都歴史地理同考会
2012年(平成24年)10月 再建

クリックすると別ウインドウで大きな地図が見られます
は聚楽第跡に建つ石碑、は聚楽第の「外郭」に配置した豊臣秀吉側近の武家屋敷跡に建つ石碑です。
の4基についてはこちらに説明があります。
クリックすると別ウインドウで地図を拡大して見られます。

これで見ますと、現存する6基の石碑では「聚楽第」と「聚楽城」は3:3で互角ということになります。


著作・編集: 聚楽第(じゅらくてい)をもっと知ってもらう会・岡本正二
E-mail: shoji_okamoto31@yahoo.co.jp

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