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第2話 聚楽第 があった場所

聚楽第(じゅらくてい・じゅらくだい)は安土桃山時代に当時の最高権力者豊臣秀吉(とよとみひでよし)が京都に建てた邸宅(居城)兼政庁です。
竣工8年後以降、痕跡を留めないよう完全に取り壊されてしまいましたので、地上には何一つ残っていません。従って遺構は数少なく、また記録も少ないのでどんなものだったのかは想像するしかないのが実情です。


聚楽第があった場所:  いまの京都市上京区。日本史研究会編集「豊臣秀吉と京都/聚楽第・御土居・伏見城」(2001年・文理閣発行)所収、森島康雄氏「聚楽第と城下町」の「第二図 聚楽第跡考定図」を基に、筆者が Yahoo! Japan の地図を拝借してブルーで濠の位置を示しました。内濠は(北)一条通、(東)大宮通、(南)下長者町通、(西)裏門通の範囲。その回りに「北の丸」「西の丸」「南二の丸」。さらに西と南の外周に外濠がある構造となっています。

ブルーが聚楽第の濠の位置です

濃いブルーの濠の範囲が聚楽第のいわゆる「内郭」ですが、さらにその回りの「外郭」に豊臣秀吉側近の大名の屋敷を配置し、武家町を形成していました。

聚楽第が存在した期間:  1587年(天正15年)9月に竣工し、1595年(文禄4年)8月以降破却(解体)されましたので、聚楽第がこの世に存在したのは満8年ということになります。



著作・編集: 聚楽第(じゅらくてい)をもっと知ってもらう会・岡本正二
E-mail: shoji_okamoto31@yahoo.co.jp

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