聚楽第
について

聚楽第(じゅらくてい・じゅらくだい)は安土桃山時代に当時の最高権力者豊臣秀吉(とよとみひでよし)が京都に建てた邸宅(居城)兼政庁です。
竣工8年後以降、痕跡を留めないよう完全に取り壊されてしまいましたので、地上には何一つ残っていません。従って遺構は数少なく、また記録も少ないのでどんなものだったのかは想像するしかないのが実情です。


内容目次

 1 『聚楽第』はどう読むの?  『聚楽第』は「じゅらくだい」か「じゅらくてい」か。
読み方をめぐる話題をさぐってみましょう。
 2 聚楽第があった場所  往時、聚楽第がどこにあったか地図上で示しました。
 3 聚楽第があったことを示す石碑  これといった遺構が残っていないため、往時、聚楽第がどこにあったか分かりみくいです。
そこでいま、聚楽第があったことを示す石碑が四基建っています。
それらの石碑を見てみましょう。
 4 聚楽第の形容表現  聚楽第は「政庁」「公邸」などいろいろに表現されています。
聚楽第の形容表現を調べてみました。
 5 幅が40メートルもあった聚楽第の濠  聚楽第の濠の幅が40メートルというのは広いです。
現存する日本のお城の中で見てみましょう。
 6 大発見 !! 聚楽第本丸の石垣  徹底的に破壊されてしまったので、 地上には何も残っていない聚楽第ですが、2012年12月に地中に埋もれていた本丸の石垣が見つかって世間の注目を浴びました。
外部
サイト
聚楽第 豊臣家の夢の跡
  
実態がつかみにくい聚楽第ですが、真田勘兵衛さんが文献や古地図などを渉猟して、聚楽第の真相および聚楽第に関連する人物群や聚楽第にちなむ地名について広範囲に調査され、その成果を「聚楽第 豊臣家の夢の跡」というウェブサイトで発表されています。左のバナー「剣客商売」道場からたどれます。
外部
サイト
聚楽第(wikipedia)フリー百科事典ウィキペディアの「聚楽第」です。



著作・編集: 聚楽第(じゅらくてい)をもっと知ってもらう会・岡本正二
E-mail: shoji_okamoto31@yahoo.co.jp

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