ラムセス3世のオベリスク (ルクソール美術館) オベリスク全リストへ戻る

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現在地:  エジプト、ルクソール、ルクソール美術館(屋内展示)
北緯
25°42′26.8″(25.707454) 東経32°40′2.0″(32.644490)
創建王:  ラムセス3世(新王国第20王朝,在位,紀元前12世紀)
高さ:  95.5センチ
石材:  赤色花崗岩

行き方: ルクソール美術館はルクソール神殿からナイル川沿いに北東に800mほど行ったところにあります。ルクソール市内の大半のホテルからは、やや遠いですが十分に歩いていける距離です。Google mapではルクソール美術館の場所が誤っていて、ルクソール神殿に隣接した所になっています。しかし実際にはルクソール美術館はナイル川沿いのメインストリートに面しています。薄い赤褐色の近代的なビルですから写真を見ていればすぐに分かりますし、チケット売り場には英語でLUXOR MUSEUMと書かれていますから間違えることはないでしょう。なお、ルクソール博物館は2008年夏に訪れた時には夜は10時まで開いていたのですが、観光客が激減しているせいか、2014年の夏には朝9時から午後3時までしか開いていませんでした。

場所について: ルクソール美術館はルクソール博物館と呼ばれる方が一般的であると思います。museumは大英博物館、ルーブル美術館のように、どちらの訳語も使われていますが、「カイロ・エジプト博物館・ルクソール美術館への招待」の著者の松本 弥氏は"The Luxor Museum of Acient Egyptian Art"という正式名称と実際の展示形態から美術館とする方が適切だと判断されていますので、当サイトでもルクソール美術館と表記することにいたしました。
luxormuseum.jpg  ルクソール美術館は1975年に開館しました。エジプトではカイロのエジプト博物館に次ぐ規模の美術館ですが、展示方法や照明の仕方などは現代的で洗練されていますし、収集品も充実しているので、世界的に見ても一流の水準の美術館といえるでしょう。
 展示品はルクソール近郊で収集された遺物で占められていて、特に後代のファラオによって異端とされたアクエンアテン王関連の展示品と、1989年2月にルクソール神殿のアメンホテプ3世の中庭(第2中庭)で発見されたハトホル女神座像などが目を引きます。
 また、単に収蔵品を並べて展示しているだけでなく、1989年にルクソール神殿で発見された多数の石像の発掘の様子や、壊れて断片となっていた石像を修復する過程などの展示もあり、展示方法には工夫が凝らされています。
 ルクソール美術館内の写真撮影は禁じられているため、筆者はエジプト国営旅行社経由で撮影許可を申し込み、ルクソール美術館より許可を取得した上で、2014年の8月8日に現地を訪れました。主目的は館内に展示されているラムセス3世のオベリスクの写真撮影ですが、撮影時間1時間以内の条件で他の展示品の撮影許可も得ていましたので、主な展示品の写真を撮ってきました。いずれ当サイトで公開したいと思います。

オベリスクについて: カルナックのアメン大神殿の第9塔門と第10塔門の間の中庭の西側で、1923年に発見されたラムセス3世(在位BC1182~1151)のオベリスクです。高さはわずか95.5cmです。下部が失われていますので、元は今よりも高かったでしょうが、頂上部の太さからみて3mには満たなかったのではないかと思われます。ラムセス3世は2本ペアになったオベリスクをアメン大神殿に奉納したものと考えられていますが、もう片方は失われています。ラムセス3世のオベリスクでは、これが唯一残っているものです。
 美術館内は電球色の照明が使われているため、オベリスクはかなり赤みがかった色になっています。このオベリスクは屋内展示なので、方角ではなく正面と左右の面と記載しますが、碑文の保存状態は良く、特に正面と右面はヒエログリフが鮮明に見えます。背面は壁までの距離が近過ぎるので写真撮影は断念しました。
 碑文は各面共に1行です。撮影できた3方向の面を見比べると、ラムセス3世のホルス名は同一の表記法になっています。ホルス名以下の文章は3面で異なっており、右面はホルス名の下にラムセス3世の即位名が刻まれていますが、その直後でオベリスクは割れています。オベリスクの碑文の1行が王の名前だけで終わってしまうことはないので、元の長さは2倍程度はあったのではないかと思います。また、オベリスクの碑文の表記法から考えますと、現在正面に展示されている面が本来のオベリスクの正面であったとは思えません。最上部のホルスの向きは、左面か撮影できなかった背面が本来の正面であったことを示しています。
 なお、実はこのオベリスクの存在こそが、筆者が断片を含めたオベリスクを記録に残そうと考えたきっかけなのです。オベリスクの日本語版のWikipediaでは、このオベリスクは室内展示のため「現存する30本の古代オベリスク」には含めていませんが、「その他の小型オベリスク(屋内)」には、ダーラム大学のオリエント博物館のアメンホテプ2世のオベリスク(日本語版のWikipediaではアメンホテプ22世となっていますが誤記です)と共に掲載しています。また、英文のWikipediaでは現存する古代エジプトのオベリスクとして29本が紹介されており、このオベリスクが記載されています。
 それにもかかわらず、エジプト博物館やアスワンのヌビア博物館に展示されているオベリスクについては記載されていません。このオベリスクは屋内展示で、高さはたった95.5cm、しかもおそらく約半分が失われている断片です。しかし、ヌビア博物館に屋外展示されているラムセス2世のオベリスクは、保存状態が良くほぼ完全な形をしたものですし、エジプト博物館にはより大型のオベリスクが多数屋外展示されているのです。ルクソール美術館のオベリスクが記載されているのに、エジプト博物館やヌビア博物館、あるいは大英博物館のオベリスクはなぜ記載されていないのか?明確な判断基準の下で取捨選択されたとは思えず、むしろWikipediaの筆者の単なる知識不足が原因なのではないのかと勘ぐりたくなるような状態なのです。
 その理由は定かではありませんが、エジプトにある断片のオベリスクは非常に情報が少ないことが一因であることは確かでしょう。さらにレバノンのオベリスクに至っては言及されている方が稀なくらいです。そこで世界に残るオベリスクを、断片を含めて自分の目で確かめながら記録に残そうと思い立ったわけです。

撮影メモ: ルクソール美術館でオベリスクの写真を撮るのは、実は難しいわけではありません。運には左右されるでしょうが、当日展示室にいる係員によっては小遣い銭欲しさに写真撮影を内密に許すので、数日通い続ければ撮影できそうなことは予想できていました。しかしながら、不正な手段で撮影した写真を堂々と公開するのは、いわば万引きした商品を自慢するのと同じようなことなので、きちんと撮影許可を得ることにしたのです。
 美術館や考古局との交渉といった面倒なことは、やはりエジプト国営のミスルトラベルが信頼できます。ミスルトラベルは日本に支社はあるのですが、直接は個人旅行者への対応をしていません。日本の旅行社を通じて申し込む必要があります。私は株式会社EVCトラベルという旅行社を通じて申し込みました。同社は海外挙式の手配を専門とする旅行社のようですが、ミスルトラベルの個人旅行「RAHARA」の取扱い旅行社に指定されています。エジプト専門の旅行社は他にもあるのですが、提携しているエジプトの旅行社のレベルがかなり劣悪であった経験から、EVC社に依頼しました。結果的にはこの判断は正解でした。
 エジプト訪問の7ヶ月前に問い合わせた時点では、許可料は決して安くはないですが比較的に好意的な回答が現地から返ってきたので安心していました。その後しばらく軍事クーデター後のエジプトの情勢の変化をみて、正式な申し込みをEVC社にしたのは6月中旬でした。ところがその後の交渉が大変だったようです。数ヶ月の間にルクソール美術館やエジプト考古局の担当が入れ替わってしまい、非常に高圧的な態度に変化してしまったのです。最初の条件は1時間で撮り放題だったのが10枚以内に制限されたり、考古局は1枚につき1000EGPという条件を提示してきたようです。EVC社のご担当の大澤様は、ミスルトラベル東京支社のH女史との間で粘り強く交渉を続けてくださり、さらにエジプトのミスルトラベルは様々なコネクションを通じて当局と交渉を重ねたようです。その結果、最初に提示された条件で許可が下りたのは、日本を出発する当日のことでした。正直に言って結構ハラハラさせられたのですが、結果的にはEVC社やミスルトラベルの尽力によって撮影が実現したのでした。関係者の皆さんには本当にお世話になり、大変有難く存じております。
(追記:エジプトの治安は好転せず、ついに2015年の春にはミスルトラベルの東京支社も閉鎖され、EVCトラベルもエジプト個人旅行の手配をとりやめました。他のエジプト専門旅行社も廃業したところが多数出てきており、エジプトへの個人旅行は厳しい状況が続いています。)

luxormuseum_left2.jpg
左面

luxormuseum_front.jpg
正面

luxormuseum_right.jpg
右面

美術館の英文説明


OBELISK OF KING RAMESSES III

A small obelisk is written on it's
four Sides by Hierogryphic with
name of Ramesses III

Granite 1193 - 1162 B.C.
Karnak
2014年8月8日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます)

共同著作・編集: 長瀬博之 nag2jp@ gmail.com、岡本正二 shoji_okamoto31@yahoo.co.jp

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