ヌビア博物館のオベリスク (アスワン、5本) オベリスク全リストへ戻る

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現在地:  エジプト、アスワン、アル・ファナデク
北緯
24°04′47.0″(24.079718) 東経32°53′22.1″(32.889479)

行き方: アスワンにはバスなどの公共交通がありませんので、外国人旅行者は基本的にタクシーで移動することになります。
 ヌビア博物館のある場所は、アスワンの市街地からかなり南側に外れたところになります。近くには Sofitel Legend Old Cataract という高級ホテルがあり、ここからなら歩いて行けますが、ホテルの多くは市街地に建てられていますので、博物館まではタクシーを使うことになります。夏のアスワンは非常に暑さが厳しいので、5月から9月にかけては徒歩で長距離歩くことはお勧めしません。タクシーを時間で借り上げて移動するのが基本になるでしょう。なお、2014年夏に訪れたときには、観光客が非常に少ないため、博物館は9時にオープンし、12時には閉まっていました。開いている時間帯が短いので、行動スケジュールには注意する必要があります

ヌビア博物館ヌビア博物館の入口
小型のオベリスクが見える


場所について: アスワンにダムが建設されるまでは、アスワン付近でナイル川が急流になっていて、ナイルデルタから船で遡れるのはアスワンまででした。このためアスワン以南のスーダンにかけてのナイル川上流地域はエジプトとは文化的に異なる地域となっていました。古代ギリシャ、ローマ人がアスワン以南の地域をヌビアと呼んだのですが、この呼び方が今なお定着しています。
 ヌビア博物館は1997年に開館した近代的な博物館です。ヌビア博物館が建てられたときに、カイロのエジプト博物館に収蔵されていたヌビア関連の遺物の多くがヌビア博物館に運ばれています。時代区分に従った展示方法が採られていて、収蔵品には貴重なものが多く見ごたえがあります。
 古代エジプトの遺物以外にも、古代ローマの統治下の時代、コプト期、イスラム化以後のヌビア関連の遺物も展示されています。館内はフラッシュを用いなければ写真撮影は自由ですが、照明がかなり暗いので、撮影には少し苦労するかもしれません。博物館はさほど広くはありませんので、屋外に展示されているオベリスクなどを含めて見てまわったとしても、所要時間は2時間あまりだと思います。
 なお、有名なアスワンの切りかけのオベリスクは、ヌビア博物館の近くにありますので、博物館の参観後に回ってみると良いと思います。採掘中にひびが入ってしまったために放棄されたものですが、無事に出来上がっていれば世界最大のオベリスクになった筈のもので見ごたえがあります。

オベリスクについて: ヌビア博物館には屋内に1本、屋外に4本のオベリスクが展示されています。いずれもアスワンの周辺で発見されたものです。

● ラムセス2世のオベリスク
 第19王朝のラムセス2世(在位 BC 1278-1212年)によってアブ・シンベル大神殿の南側にある小さな岩窟礼拝堂の内部には2本のオベリスクが奉納されていました。おそらく、アブ・シンベル神殿がアスワン・ハイ・ダムの建設によって水没することを避けるために、ユネスコによって1964年から4年間かけて丘の上に移築工事が行われた際に、2本共にカイロのエジプト博物館に収蔵されたものと思います。ヌビア博物館が開設された際にエジプト博物館から運ばれ、1本はヌビア博物館の建物の入口に向かう通路脇に展示されました。ペアの他の1本は博物館内に展示されています。
 屋外に展示されているオベリスクでは4匹のヒヒの台座の上にオベリスクが建てられています。ただし、岩窟礼拝堂の内部に奉納されていた時には、4体のヒヒの石像は祭壇の上に置かれていて、2本のオベリスクとは離れて置かれていたようですので、現在の展示のようにオベリスクとセットになっていたわけではないようです。オベリスクは2本あるのに対して、4体のヒヒの像は1組しかないことからも、そのことは推察されます。
 なお、ヒヒというのはアフリカにいるオナガザルの一種で、当時の人々は、太陽が東の空に昇ってくるとヒヒが踊り出すと信じていたということです。

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南面

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東面

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西面

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北面

2014年8月7日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます)

● ラムセス2世のオベリスク(屋内展示)
 ヌビア博物館の館内に展示されています。先ほど述べた博物館の右横に屋外展示されているオベリスクと対のものです。ただし、屋外展示のオベリスクでは4面のすべてに碑文が彫られているのに対して、こちらは2面にしか碑文は無く、残りの2面はのっぺらぼうの状態です。碑文には金色に彩色された跡が残っています。屋外、屋内の2本のオベリスクの碑文を見比べると、記述内容も書式も同一ですし、屋外に展示されている方にも碑文にはかすかに金色に彩色の跡が残っているなど、共通している点も多いので、ペアで作られたものであることは確かなのですが、なぜこちらのオベリスクの2面には碑文が無いのか理由は分かりません。対称性を重んじる古代エジプトの美術様式から考えると非常に特異な例です。

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正面

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左面

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右面

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右面および裏面

2014年8月7日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます)

● アメンホテプ2世のオベリスク(上部)
 英国のダラム大学のオリエント博物館に屋内展示されているオベリスクと対のものです。アスワンの町の正面にあるエレファンティネ島で発見されたものです。エレファンティネ島は古代エジプトでは第1ノモスの都が置かれた場所です。このオベリスクはエジプト新王国時代第18王朝のアメンホテプ2世(在位 BC 1453-1419年)が建てたものです。ダラム大学オリエント博物館のオベリスクは、碑文の彫刻部分が金色に美しく彩色されている貴重なものですが、あまりにも彩色が鮮明なために近代になって塗色されたものと考えられがちです。筆者もそう考えていたのですが、ペアであるこのオベリスクにもかすかに金色の塗料が残っていますので、オベリスクを建てた時に彩色されたもの、あるいは後世に修復されたものと考えています。まったく色が塗られた形跡が無いのに、金色に塗ってしまったわけではないと思っています。
 このオベリスクはエレファンティネ島の民家の石材として利用されていたものですが、オリエント博物館のオベリスクと比べてみると上側の半分、1m強しか残っていないことがわかります。かすかではありますが金色の塗料が残っているにもかかわらず、屋根も無い屋外展示であるのは、保存の観点から見ると若干気になります。
 碑文は1面のみに彫られています。碑文の最上部のホルス神の方向から見て、エレファンティネ島の神殿にオベリスクが建てられた時には、このオベリスクは左側、オリエント博物館のオベリスクは右側に立てられていたことが分かります。

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正面

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左面

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右面

2014年8月7日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます)

● トトメス4世のオベリスク(断片)
 第18王朝のトトメス4世(在位BC1419~1386)のオベリスクです。台座を除くと1mあまりの小型のものですが、誕生名のカルトゥーシュが最上部になっているので、上側の約半分程度が失われている断片と思われます。碑文の保存状態はあまり良くないので、写真からヒエログリフを読み取ることは困難ですが、ヌビア博物館の説明板によればトトメス4世のオベリスクであることが碑文から特定されています。

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正面

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左面

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右面

2014年8月7日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます)

● 王名不詳のオベリスク(断片)
 上部が欠けて断片になっているオベリスクです。後世になって教会の石材に利用されたときに四隅が削り取られて円柱状になっているため、全体として保存状態は良くなく、碑文のヒエログリフは中央部しか残っていません。このため誕生名のカルトゥーシュがあることは分かりますが、王の名前は特定できていないようです。ヌビア博物館の説明文によれば新王国時代のもので、ナイル川の上流の現在はスーダン領になっているドンコラで出土したものです。

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東面

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南面

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西面

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北面

2014年8月7日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます)

共同著作・編集: 長瀬博之 nag2jp@ gmail.com、岡本正二 shoji_okamoto31@yahoo.co.jp

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