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大きな地図で見る          metoro.gifは地下鉄駅を表す記号です

ラテラン・オベリスク

所在地:  ローマ、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ広場(サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂北西側)
北緯
41°53′12.6″(41.886836) 東経12°30′17.2″(12.504778)
創建王:  トトメス3世(新王国第18王朝,在位,紀元前15世紀)~トトメス4世(同,在位,紀元前14世紀初め)
高さ:  オベリスクのみ 32.18 メートル(1587年頃チルコマッシモの地中から移される前は 36 メートルあったという)
台座を含め 45.7 メートル
重さ:  230トン(455 トンの説もある)
石材:  赤色花崗岩

サン・ジョバンニ門 サン・ジョバンニ門を通り抜けて行きます

行き方: ラテラン・オベリスクはサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂の裏側に建っています。テルミニ中央駅からは地下鉄A線に乗って、3駅目のSan Giovanni(サン・ジョバンニ)で下車します。サン・ジョバンニ駅から大聖堂までは徒歩約7分と近いのですが、駅からは大聖堂を直接見ることができません。
 サン・ジョバンニ駅を出ると北側にアウレリアヌス城壁跡があり、道路が通る門(サン・ジョバンニ門)がありますので、そこを通り抜けると広大なサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ広場と大聖堂が眼前に広がります。白い大聖堂の正面に向かって右横の赤茶色の建物はラテラノ宮殿で、オベリスクはラテラノ宮殿の右側のバス通りを宮殿の裏側に進めば見つかります。
 なお、このオベリスクの近くにある81系統あるいは673系統のバスに乗ると チェリモンターナのオベリスク に楽に行くことができます

場所について: サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂はローマの4大バジリカの一つであり、4世紀にコンスタンティヌス帝によって建設されたローマ最古の教会でもあります。ただし現在の建物は16世紀にシクストゥス5世の命によって修復されたものです。

ラテラノ大聖堂とラテラノ宮殿 白いラテラノ大聖堂と
赤茶色のラテラノ宮殿


 大聖堂の右横のラテラノ宮殿は、1309年にアヴィニョン捕囚によって教皇庁がフランスのアヴィニョンに移るまでの約1,000年間、ローマ教皇が居住していた宮殿ですが、現在の建物自体は16世紀に教皇シクストゥス5世によって建て直されたもので、元の宮殿よりは小さな建物になっています。なお、現在の宮殿はバチカン市国の独立やバチカン国有鉄道の敷設などが認められた『ラテラノ条約』(1929年)の調印の舞台となったことで知られています。
 このようにサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂とラテラノ宮殿はローマでも著名な場所ですので、ローマのガイドブックには必ず載っています。大聖堂の内部も参観できますし、ラテラノ宮殿はローマ教皇庁博物館として公開されていますので、一見の価値があります。
 ローマにあるオベリスクの殆どはテルミニ中央駅の北西あるいは西側にあり、このラテラン・オベリスクは唯一テルミニ中央駅の南側にあります。余談ですが、ローマを訪れる観光客の多くがテルミニ駅から地下鉄A線を利用しますが、Battistini(バッティスティーニ)行きを利用することが多く、Anagnina(アナニーナ)方面に向かうことは殆どありません。
 しかし Anagnina 方面にも古代ローマの水道橋の遺跡や、映画撮影所としては世界的に名高いチネチッタなどの見所がありますので、それらを訪れるのと併せてラテラン・オベリスクを訪れるのも良いのではないかと思います。

オベリスクについて: ラテラン・オベリスクは高さが 32.18m、重量は 230トンと言われており、現存する古代オベリスクの中では世界最大のものです。台座の部分を含めると高さは 45.7mになります。最下部は古代に一部壊れて失われたようですが、現存する部分は補修されている個所も少なく、堂々とした風格を保っています。
 このオベリスクは、古代エジプトの新王国時代第18王朝の、トトメス3世の治世(紀元前1460年頃)に作られ始めましたが、おそらく王の死によって工事が中断され、アメンホテプ2世の治世の頃の35年間は未完成のまま放置されていました。アメンホテプ2世の死後、トトメス3世の孫のトトメス4世のときにオベリスクが完成し、カルナックのアメン大神殿に建てられたことが碑文の内容で分かっています。またオベリスクは通常2本一組で通路の左右などに設置されることが多いのですが、このオベリスクは1本だけ作られたことも記述されています。
 なお、トトメス3世は幼少のときにハトシェプストに王の座を簒奪され、女王の死後にファラオに返り咲いたことで知られています。トトメス3世はハトシェプスト女王への怨念を晴らすために、女王の記録の抹消に専念しました。ハトシェプスト葬祭殿のレリーフを破壊したり、アメン大神殿のハトシェプスト女王のオベリスクを壁で囲んで隠しました。トトメス3世がハトシェプスト女王のオベリスクよりも大きなオベリスクを作ろうとしたのも、ハトシェプスト女王に対する反感に根ざしたものかもしれません。
 またトトメス4世には、王子の頃に「スフィンクスを掘り起こせば王になる」との予言を受け、半ば砂に埋もれていたスフィンクスを取り去った結果、王の座についたという逸話(ギザのスフィンクスの「夢の碑文」)があります。しかしながら自らの王位継承の正当性を強調するのは、逆に王位の継承が不自然であったからとの見方もあります。前王の頃に作成が中断されていた祖父のオベリスクを完成させたのも、継承の正当性を強調するためであったのかもしれません。最大のオベリスクを巨費を投じて作るのには、それなりの動機があったように思えて面白いです。
 オベリスクの碑文は4面ともに3列のヒエログリフが刻まれています。ヒエログリフの保存状態は良く、大方の文字は判別ができますが、西側の面の文章には一部ヒエログリフをまねた記号が書かれており、後代に補修されたものと考えられています。4面ともに3列の中央の碑文にはトトメス3世のホルス名、即位名や誕生名が書かれていますが、面によって王名の記述法が微妙に異なっています。また3列のヒエログリフのうち、左右の文章にはトトメス4世の王名が記載されており、南面の左側の文章の中ほどには 35 を示すヒエログリフが見えますので、ここに 35年間放置されていたという由来が書かれているのだと思います。
 それから約1300年、クレオパトラを自殺に追い込んでエジプトを征服したオクタヴィアヌス(ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥス帝、在位 B.C. 27 - A.D. 14年)がオベリスクに惚れこみ、カルナックのアメン大神殿にあったこのオベリスクをローマに持ち帰ろうとしたのですが、大きすぎて実現できませんでした。余談ですが、彼はそのとき、代わりのオベリスクとして、ヘリオポリスの太陽神殿から2本のオベリスクをローマに持ち帰りました。これがオベリスクのローマの始まりとされます。その2本はいま、ローマのポポロ広場とモンテチトーリオ広場(下院前)にそれぞれ建っています。
 それからさらに約300年後、4世紀になって、ローマ帝国の皇帝コンスタンティヌス1世(在位 306-337年)がこのオベリスクをカルナックから自らの新しい都コンスタンチノープル(現在のイスタンブール)に運ぶことを命じました。作業中に台座と土台の大部分が壊れてしまいましたが、コンスタンティヌス1世の在位中にはやっとアレキサンドリアまで運ぶことに成功しました。
 その後、息子のコンスタンティウス2世(在位 337-361年)が計画を引き継いだのですが、コンスタンティノープルではなくローマに運ばれ、357年、ローマのチルコマッシモの真ん中のスピーナに、すでに立っていた1本のオベリスク(それはいまポポロ広場にある フラミニオ・オベリスク です)の隣に並べて建てられました。従って、このときにはオベリスクがチルコマッシモに2本並んで立っていたことになります。

チルコマッシモ チルコマッシモ跡地の現況

 当時のチルコマッシモは 25万人もの収容人数を誇る戦車競走などに使われた大競技場でしたが、現在でも細長い大きな野原になって残っていて、その規模を感じることができます。(写真)
 ローマ帝国の衰退後、オベリスクは倒れてしまったのですが、いつ、どういった理由で倒れたのか記録が残っていません。ブームが去ると人々の関心は急速に冷え込むようです。
 16世紀になって再びエジプトブームが興り、ときのローマ法王シクストゥス5世の指示で探索したところ、1587年に3つに割れたオベリスクが、地下7メートルの深いところに埋まっていることがわかりました。1年以上かかって掘り出されたオベリスクは、頂点にキリスト教の十字架が取り付けられ、いまのサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ広場に立てられたのでした。ときに1588年8月3日でした。オベリスクの下の方には修復された跡が残っていますが、おそらくこの時のものでしょう。なお、このオベリスクは元々は高さ 36mであったと推定されていますので、下部が 4mほど失われていることになります。

撮影メモ: サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂は歴史的な建物なのですが、周辺に観光地が無いため、テルミニ駅の西北部の観光地に比べると人出も少ないようです。特にラテラン・オベリスクは大聖堂の裏手にあるため、2013年と2014年の夏に訪れたときにも観光客はあまり居ませんでした。世界最大のオベリスクにしては訪れる人も少ないので少々残念でした。なお、オベリスクの真横のバス通りは、テルミニ駅からフィミチーノ空港行きのシャトルバスの経路になっているため、シャトルバスの車窓からオベリスクを見ることができます。

lateran_south.jpg
南面

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東面

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西面

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北面

2014年8月11日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます)

共同著作・編集: 長瀬博之 nag2jp@ gmail.com、岡本正二 shoji_okamoto31@yahoo.co.jp

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