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大きな地図で見る          metoro.gifは地下鉄駅を表す記号です


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サンピエトロ大聖堂のクーポラからオベリスクのある広場を見下ろす


バチカン・オベリスク

現在地:  バチカン市国、サンピエトロ広場
北緯
41°54′08.1″(41.90225) 東経12°27′26.1″(12.45725)
創建王:  不明。
高さ:  オベリスクのみ 25.37メートル
重さ:  320トン(一説に 327トン,331トン)

行き方: バチカン市国への入口は地下鉄A線のオッタヴィアーノ駅(Ottaviano)から 400mほど南に行ったところにあります。オッタヴィアーノ駅を出た途端にバチカンを目指す観光客の人々が目につきますので迷うことはないでしょう。ただし、観光客の中にはバチカンの城壁沿いに伸びているバチカン美術館のチケットを買う行列に向かう人達も居るので、その場合には行列の向きと逆方向に進めばサンピエトロ広場に入る入口が見えてきます。オベリスクはサンピエトロ広場の中央に堂々と建っています。
 バチカン・オベリスクを見るだけなら何時に行っても良いです。しかしせっかくバチカンに来たのならサンピエトロ大聖堂に入りクーポラに上るのをお勧めします。大聖堂に入るにはセキュリティチェックがあり、昼間は長蛇の列になりますので、早朝の方がいいでしょう。またバチカン美術館もお勧めです。美術館と「最後の審判」の天井画と祭壇画があるシスティーナ礼拝堂の入場券はセットになっていますが、当日のチケット購入は2時間以上の列になりますので、ウェブサイトで予約購入しておきましょう。

場所について: サンピエトロ広場は言うまでもなく、ローマカトリックの総本山であるサンピエトロ大聖堂の前に広がる円形の広場です。広場は幅 200m、奥行き 165mあり、その周りには回廊の円柱がぐるりと取りまいています。オベリスクはその広場の中央にあります。
 余談ですがサンピエトロ大聖堂は4世紀の創建で、現在の建物は17世紀に改築されたものです(1626 年竣工)。建物の北側(大聖堂の右うしろ)にはローマ教皇が居住するバチカン宮殿があります。
 サンピエトロ大聖堂には多くのローマ教皇の廟や多数の彫像があります。地下はローマ教皇の墓所となっていて歴代のローマ教皇の石棺が安置されています。また、階段を登るのがかなり大変ですが、クーポラ(ドーム)に上ることもできます。上からの眺めは素晴らしく、苦労して登るだけの価値はあります。途中まではエレベータで行けますが、いつも長い行列ができていますし、エレベータを降りた後も 320段の狭い階段を登らなければならないので、筆者はエレベーターを使わずに登りました。

オベリスクについて: このバチカン・オベリスクの由来についてはよく分かっていません。
 古代ローマ帝国時代の博物学者プリニウス(Gaio Plinio Secondo)が著した『博物誌』の第36巻、15章 によれば、「いまバチカン競技場にあるオベリスクは、エジプト王 セソストリス1世(Sesoses、センウセレト1世、第12王朝(中王国時代、紀元前20世紀)の王)の息子 ヌンコレウス(Nuncoreus) が、失明した視力が回復した感謝のしるしとして建てたオベリスクで、もう一つのオベリスク(高さ 100キュービット)は今でも残っている。」と書かれています。
 ところで、プリニウスの『博物誌』についてはその信憑性を考慮しなければならないでしょう。『博物誌』の記述内容にはかなりいい加減なものも多く、しかも単なる伝聞を事実のように断定的に言い切っていることが多いのです。実際、ヌンコレウスという王は実在しません。
 なお、澁澤龍彦氏の『私のプリニウス』という本は文庫版も出ているので読んだことがあります。プリニウスが見てきたように書いている怪獣などの怪しげな文例を挙げながら、「プリニウスの記述をあまり真面目に受け取ると、とんだ徒労を味あわされる羽目になることがあるから用心しなければならない」と書いてあります。この本は決して上品な教養書ではありませんが奇想天外で面白いです。
 さて本題に戻りますと、『博物誌』はオベリスクを建てた場所には言及していません。また、ヌンコレウスという王は実在しませんが、歴史の定説ではセソストリス1世の次の王はアメンエムハト2世(Nubkaure Amenemhat II)とされています。
 そこで、別の説では「第12王朝(中王国時代、紀元前20世紀)のアメンエムハト2世の時代にアスワンで切り出されて、ヘリオポリスの太陽神殿の前に立てられた」としています。
 しかし、それ以外に有力な情報はないようです。『博物誌』が成立する 600年ほど前の紀元前5世紀、ギリシアの歴史家ヘロドトス(Herodotus)が著した『歴史』の巻2、111節 にも、「フェロス(Pheros)という王が、失明した視力が回復した感謝のしるしとして建てたオベリスク」の記述がありますが、上記『博物誌』の話に似ていますので、この話は『歴史』を情報源にしたのではないかと思われます。
 なお、『歴史』に書かれたフェロス(Pheros)王は実在しないのですが、フェロス(Pheros)の綴りが王を意味する”Pharaoh”に似ているところから、フェロスは単なる一般名詞ではないかとの解釈もされています。
 もし、このバチカン・オベリスクが第12王朝(中王国時代、紀元前20世紀)に建てられたものとしますと、現存するオベリスクとしては、いまヘリオポリスに残っている センウセレト1世のオベリスク などに次いで3番目に古いオベリスクということになります。(ローマでは一番古いオベリスクとなります。)
 しかしながら、疑問もあります。このバチカン・オベリスクには碑文が全くありません。第12王朝(中王国時代、紀元前20世紀)の頃に碑文の無いオベリスクが建てられることは考えにくく、また無碑文の石材が 2,000年近くも後代の王たちによって再利用もされずにいるだろうかという疑問も沸きます。特に、ヘリオポリスにも小型のオベリスクを建てている建築王のラムセス2世が、無地のオベリスクを自分の物にせずに見逃す筈はないと思われるのです。少なくとも現存するヘリオポリスのオベリスクは Nuncoreus王のものではないですし、碑文も入っていますので、バチカン・オベリスクの元になったものとはペアではありません。
在バチカン日本国大使館 在バチカン日本国大使館をみつけた

   以上のことを勘案して、このオベリスクが第12王朝に建てられたという説を採用しない研究者もいます。ラビブ・ハバシュ著『エジプトのオベリスク』(The Obelisks of Egypt、1977)などでは、このオベリスクは皇帝領エジプトの初代総督となったガイウス・コルネリウス・ガルス(ローマ皇帝アウグストゥスの指示によってアントニウス軍を破った将軍の一人)が、1世紀にアレキサンドリアのジュリアン広場に建てたことから説き始めています。
 そのアレキサンドリアにあったオベリスクが、AD 37年(一説に AD 40年)、ローマ皇帝カリグラ(カリギュラとも書く)によってローマに運ばれ、カリグラの円形競技場(いまのサンピエトロ寺院の辺りにあり、のちにネロの円形競技場、バチカン円形競技場と呼ばれました)にスピーナとして建てられました。
 その後バチカン円形競技場も廃れ、1506年、その跡地にサンピエトロ寺院の建築が始まりました。そしてバチカン円形競技場跡に残っていたオベリスクはサンピエトロ寺院の前に作られる新しい広場(サンピエトロ広場)に移そうと計画されたのですが実現せず、そのまま放置されました。
 そして法王にシクスタス5世(在位 1585-1590年)が即位すると、彼はさっそくバチカン円形競技場跡に残っていたオベリスクの移設を命じました。その結果、翌 1586 年にオベリスクはサンピエトロ広場の真ん中、いま建っている場所に無事移設されたのです。(サンピエトロ広場の整備が終わったのは 1667 年のことです)
 このオベリスクについて特筆すべきことは、ローマに運ばれたオベリスクはみな、中世に一度は倒れ地中に埋もれますが、このオベリスクだけは AD 37年 に建てられて以来倒れていないことです。
 映画『天使と悪魔』ではこのオベリスクが重要な舞台となっていますが、バチカンでのロケが認められなかったことから、ロサンゼルスの駐車場に作られた巨大なセットで撮影されたものです。非常にスケールが大きいセットなので、むしろセットであることを承知の上で見ると別の意味で感動します。

撮影メモ: このオベリスクはサンピエトロ広場の中央に建っていますので、バチカンを訪れた人は必ず目にしているはずです。場所としてはこれ以上は望めないような素晴らしいロケーションだと思います。なお、オベリスクに関する多くの書物やウェブサイトでは、このオベリスクをローマにある他のオベリスクと共に紹介している場合が多いのですが、バチカン市国は世界的に認められている独立国ですので、ローマとは区別して掲載しました。
 余談ですが、2014年の夏にバチカン・オベリスクを再訪した際の帰り道には、サンタンジェロ城(ハドリアヌス霊廟)を回ってから地下鉄のレパント駅に向かったのですが、その途中に金色に輝く菊の紋章をつけた小さなビルがありました。帰国後に気になって調べたところ、在バチカン日本国大使館であることが分かりました。早朝のため日の丸が掲揚されていなかったので分からなかったのです。バチカン市国は狭いので、在バチカンとは言いながらも大使館はローマ市内に建っていたのでした。「大使館って菊の紋章をつけているんだ」と、改めて知りました。

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東面

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南面

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西面

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北面

2014年8月15日 撮影:長瀬博之 (画像をクリックすると高解像度の画像が見られます)

共同著作・編集: 長瀬博之 nag2jp@ gmail.com、岡本正二 shoji_okamoto31@yahoo.co.jp

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